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INTERVIEW

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青柳 昴樹 元横浜DeNAベイスターズ

~「甲子園優勝球児」の「ユメノアトサキ」~

2016年に野球の名門大阪桐蔭高校から横浜DeNAベイスターズ(以下:ベイスターズ)に入団。
現役中は海外でのプレーも含めて4年間のプロ野球生活を経て2019年に現役を引退。地元大阪の地で今後のビジョンを見据え取り組まれている青柳昴樹さんの今に迫りました。
(インタビュー時期/2021年7月)

インタビュー当日もお仕事終わりにスーツ姿で駆けつけてくれた青柳さん。引退後のユニフォーム(スーツ)も青柳さんのスタイルの良さがよくわかり、非常にカッコよかったです!

現役を引退されてから、今は企業に勤めながら海外への留学を考えられているとお聞きしましたが?

青柳さん:はい、現役を引退してから知り合いの伝手で現在働かせていただいている企業の社長と出会い、留学するのか社会に出て働くのか迷っていることを話したところ、「自がどうしたいのか 決まるまでウチの会社で働けばいい」と言っていただいて、今の会社に就職させていただきました。

今はどのようなお仕事をされているのですか?

青柳さん:事業内容としては建設関係のコンサルティングをしている会社で、私は営業の仕事をしています。人間関係が特に良くて社長とは日曜日の草野球でも会うので、週7で会っていますね(笑)

プロ野球の業界から企業で働くことに対して抵抗はありませんでしたか?

青柳さん:友達と話していると月曜日が来るのが憂鬱だと言う人もいますが、僕は月曜日が来るのが 楽しみなんです。毎日仕事を楽しませていただいている会社に本当に感謝ですね。今まで野球しかしてこなかったので、全く畑違いの仕事を経験することで違う世界を見ることが出 来たのは良かったと思います。

紆余曲折があって今のキャリアを歩まれていますが、青柳さんの過去の経験についても聞かせてください。プロ野球選手になるに当たって学生時代に苦労された点はありましたか?

青柳さん:小さい頃に両親が離婚をしていて、祖父母に育てられてきました。そのこともあって金銭的に進学においては選択肢がそれほどありませんでした。同級生には色々と選択肢がある中で自分にはなかったので、その当時は辛かったですね。 後は祖父母とも働いていたので、チームメイトの親御さんは試合のお世話に来られるのですが、自分には来てくれる親がいなかったので、そういった点でも周りの目を気にしていました。

そのような境遇からプロ野球選手を目指されたきっかけは何かありましたか?

青柳さん:実は中学生の時に所属していたクラブチームの監督とその後の進路について揉めることがあり、中学2年生の時に一度野球を辞めたんです。それまでは土日は常に練習と試合で遊んだことがなかったので、いざ友達と遊んでみると凄く楽しかったですね(笑)。ただ、中学生のときは少しヤンチャをしていたこともあって、ある日祖母がスーパーから帰ってきた際に「私が育てたから、野球も辞めて不真面目になった」と言われたんです。たまたま周りの父兄の方から僕がヤンチャしていることを聞いたようでした。その時は祖母に育ててもらったのに本当に申し訳ないと 思い、もう一度野球をやり直そうと思いました。そして、やるからには本気でプロを目指そうと思い、もともと小学生の頃からぼんやりとプロ野球選手にはなりたいと思っていましたが、この出来事があってより明確化されました

プロ野球選手になると決められて、それで大阪桐蔭高校に進学されたのですか?

青柳さん:実は最初から大阪桐蔭高校を志望していた訳ではなかったんです。最初は別の高校に行きたかったんですが、大阪桐蔭高校は春夏連覇もしていて、全寮制ということもあって、全て自分達でやっていく必要があり、最終的には自分に合っている環境だと思って選びました。結果的には高校二年生の時に甲子園優勝を経験出来て、三年生の時には甲子園でベスト4に入ることが出来たので良かったと思います。

ー高校に入りプロ野球選手を目指している中で、プロになれるか不安に思うことはなかったですか?

青柳さん:僕が入部した当初は現埼玉西武ライオンズにおられる森選手(捕手)が3年生にいて、「プロ野球選手になる人ってこういう人なんだ」と思いました。中学生から上がりたての僕とはレベルが全然違うと肌で感じていました。その時は練習についていくことに必死で、今の努力のままではプロになれないと思っていました。

どのタイミングからプロになれると感じていましたか?

青柳さん:実は、ドラフト会議で名前が呼ばれる最後の最後まで分かりませんでした。高校側も手応えがあれば記者会見の準備をしてくれるのですが、僕の場合は特に準備されておらず、名前が呼ばれた時も普通に練習をしていましたね(笑)。 卒業後の進路として社会人野球のチームも受けていましたので、もしプロになるのが駄目だったら、そちらのチームで野球を続けるつもりをしていました。

プロ野球選手として4年間を経験されてどんなことを感じましたか?

青柳さん:プロの環境は野球をやっている人であれば誰もが一度は憧れる舞台で、そこに立てたことは良かったと思います。ただ一方で、野球人生の中で一番レベルの違いを感じました。小学生の時は身体が大きいと1番になれる、中学生のときはそれに加えて少し努力すれば1番になれる、高校のときはその努力の量を増やすことで1番になれる、ただプロはそこからがスタートラインで した。一軍で出場することが出来なかったので、どれだけ努力をしても上に行けなかった悔しさもありますね。

プロ野球選手生活の中で何か印象に残っている経験はありましたか?

青柳さん:オーストラリアのウィンターリーグに所属しているチームとベイスターズがパートナーシップ契約を結んでいて、3ヶ月間の期限付移籍がチーム内で募られた時がありました。今までも海外には興味があって行きたいと思うものの行く機会がありませんでしたが、今回話をいただいた際 に「絶対に行きたい」と自ら手を挙げました。 所属して印象的だったのが、例えば野球だと3割打てば良いバッターと言われますが、見方を変えると10打席のウチ3回しか成功せず、良いバッターでも7回は失敗している。日本人であれば失敗が重なると落ち込む人が多いと思いますが、同じように所属していたアメリカ人やベネズエラ人、オーストラリア人は打てないと落ち込むどころかめちゃくちゃに怒り出して、日本ではなかなか見ないですが、平気でヘルメットを投げたり、バットを折ったりもするんです。 ただ次の日になると、前日を引きずることなく、「俺は今日やってやる!」という清々しい気持ちで 新たな一日を迎えているんです。自分もそうでしたが、日本人はどちらかというと上手くいかないことが続くとマイナス思考に陥ってプレーが消極的になってしまう人が多いように思います。オー ストラリアで海外の選手と生活する中で、自分にはこういったマインドの面で足りていない部分があると分かりました。

海外の選手と日本の選手とで、なぜそのようなマインドに違いが生まれると思いますか?

青柳さん:文化の違いだと思います。文化という言葉だけで括ってしまっては良くないかもしれません が、例えば、今子ども向けに野球教室をしているんですが、日本では「質問しておいでよ」と言ってもほとんどの子が質問をしてきません。海外の子たちは「どうやって投げるのか」等とにかく自分が上手くなるために何でも質問をしてくるんです。教育の中での積極的な姿勢がマインドの違 いに繋がっているのだと思います。 それ以外にも、日本人は感情を表に出すことで、周りからどのように思われるだろうと気にする人が多いように思います。オーストラリア人に聞いてみたら、「みんな自分のことを愛している。周りにどう思われようが自分の心を大事にしていて、自分の人生を思った通りに生きる。」と話していました。

海外での経験をされて、後に何か変化はありましたか?

青柳さん:日本に戻ってからシーズンが始まり、プレーで上手くいかないことがあっても次の日は明るく切り替えていこうというマインドになり、結果も改善されていきました。その当時、もう後2〜3年 早く気づけていたらプロ野球生活ももう少し変わっていたかもしれません。 今でも上手くいかないことがあった際に切り替えて前向きに取り組めるようになったのはその時の経験があったからですね。

プロ野球選手を引退後も野球を職業として仕事をしていく選択肢もあったかと思いますが、な ぜ今の選択をされたのですか?

青柳さん:僕が引退したタイミングが、同級生がちょうど大学を卒業して社会人になるタイミングだったので、自分も一度野球から離れて社会に飛び込むチャンスだと思いました。4年間ではありましたが全力でやり切ったからこそ野球自体を引退することにも未練はありませんでした。野球はいずれ辞める時が来ますし、実は球団に戦力外通告を受けた後にトライアウトも受けなかったんです。戦力外通告を受けたその日に引越しの手配をして2日後には寮も出ていましたね。

引退を意識されてから様々な業界の方にお会いしに行ったと聞きしましたが、どのような方に お会いされましたか?

青柳さん:プロ野球選手を引退して一般企業で働かれている方や企業で社長をされている方、社会人になりたての同級生など様々な人に会いに行きました。 社会のことが本当に分からなかったので、企業で勤めることがどういうことなのか、お金を稼ぐとはどういうことなのか等の初歩的なことも含めて教えていただいていました。ただ話を聞きに行くと、まだ若いので野球をもっと頑張ったらと言われることも少なくありませんでしたが、自分の中では特に迷いはありませんでした。

プロである以上は競技に集中することが求められると思いますが、一方でいつかは現役に終 わりがくる中で引退後のことを見据えて活動されている方もおられましたか?

青柳さん:プロ2年目の時にベイスターズの先輩の方が現役中から将来のビジョンについて話されている方がいて、現役を引退されてからご自身で起業をして経営者をされていました。ただ、実際のところはビジョンがあったとしても中々言える環境ではなかったですね。セカンドキャリアのことを考えていると「お前はもう野球を諦めているのか」という風潮があったようにも思いますが、今ではプロ野球の業界も少しずつ変わってきていますね。

野球とは全く違う環境に飛び込まれて感じたことも多々あるかと思いますが、今はどのような 気持ちで日々過ごされていますか?

青柳さん:野球をしているときは会ってくれていた人が、野球を引退してからは会ってくれなくなった人もいました。その中でも会って自分を助けてくれた人には本当に感謝していますし、離れていった人たちも自分の責任だと思っています。応援してくれたのに不甲斐ない結果で終わってしまったのは自分の責任でしかないですから。今はご縁を繋いでくださった方々に感謝しながらも自分の将来に向けてチャレンジしていきたいと思っています!

最後に、青柳さんの今後のビジョンについて聞かせてください!

青柳さん:留学をして語学を学んだのちに海外留学を支援するエージェントの仕事がしたいと思って います。海外は小さい頃からなかなか行けない場所として憧れがあり、オーストラリアへ実際に行ってみると人生が変わる程の経験をさせてくれたので、まさに自分を変えてくれた原点だと思っています。同じような経験が出来るように支援をしていきたいですね。 また野球振興にも興味があり、サッカーやバスケットボールといった人気スポーツに人が流れていっているので、野球教室等をすることでより野球人口を増やしていくことにも貢献していきたいと思っています!

青柳 昴樹Aoyagi Koki

1997年5月19日生まれ。大阪府泉大津市出身。

大阪桐蔭高校では2年時の夏からレギュラーとなり、同年夏の選手権大会(甲子園)で優勝を果たし、3年時となった翌春の選抜大会でもベスト4に進出。

2015年のプロ野球ドラフト会議で横浜DeNAベイスターズからドラフト6位の指名を受け入団。4シーズン在籍し、2019年に現役引退を発表。

青柳 昴樹