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徳永 悠平 元FC東京・Vファーレン長崎
~「愛する長崎」での「ユメノアトサキ」~
サッカーの強豪校である国見高校2年生時に総体・国体・全国高校選手権と3連覇を、そして3年生時には全日本ユース選手権と全国高校選手権の2連覇を共に主力選手として果たし、高校生の時から既に突出した存在であった。
その後早稲田大学に進学し、卒業後にFC東京(J1)に入団。2004年にはアテネオリンピックメンバーに選出され世界大会も経験。その後15シーズンに渡りJリーグの舞台で活躍し、2020年に地元長崎のV・ファーレン長崎で現役を引退。
現役時代「572試合出場」という超人的な記録を打ち立てた徳永悠平さんの「ユメノアトサキ」に迫ります。
(インタビュー時期/2021年6月)
(写真撮影時のみマスクを外しております)
現役生活お疲れ様でした!そして今は農業もされているとお伺いしましたが、なぜ農業をされつことになったんですか!?
德永さん:実は長崎に戻ってくるまでは、農業に取り組むとは全く思っていませんでした(笑)。考え出したのは2018年に移籍して長崎に戻ってきたタイミングからです。最初は農業に対して、儲からない、汚れる、夏は暑いというようなあまり良いイメージはありませんでした。ただ現役中からパフォーマンスを良くするためにも食には興味があって、戻って来てから地元の美味しいものにも触れるようになり、そこから農業への取り組みに興味を持ち始めました。
そうだったんですね!今は他にどのような取り組みをされていますか?
德永さん:現役の時から父が経営する会社で働くことが決まっていましたが、今はそれに加えて一般社団法人でUSという団体を立ち上げて、地方創生の一つとして先程お話した農業に取り組んでいます。取り組み出したのは今年の2月上旬ごろからで、地元島原の魅力ある産業をもっと世の中にアピールしていきたいですね。まだまだ駆け出しの状態で、事業としてカタチにしていきたいと思っています。
農業を取り組んでみて感じたことや、周囲からの反響はいかがでしたか?
德永さん:自然の気持ち良さを感じながら、メンタル的にもリラックスして出来ることは自分にとっても心地の良い時間になっています。周囲からは意外なことをしているという反応をされることもありますが、自分としては興味があってやりたいことをまずやってみようという感覚だったので、特別 変わったことをやっているつもりはなく、サッカーとはフィールドが変わっただけで、楽しんで取り組んでいます。
引退のことはいつ頃からイメージしていましたか?
徳永さん:30歳を過ぎた頃から意識し始めていました。ただ実際のところは現役中いつも怪我をしたら終わりだなと思っていたので、常にいつ引退してもおかしくないなとも思っていました。
現役中に引退後のことをイメージするのは難しい側面もあったかと思いますが、現役中にしていて良かったことはありますか?
徳永さん:どうしてもサッカーだけになりがちなので、サッカー以外の違う業種の人に会うようにしていましたね。そうする事で幅広く人との繋がりを持てるようになったことは、今思えば良かったと思います。
その一方でしておけば良かったと思うことはありますか?
徳永さん:現役中はサッカーだけに集中していたので、サッカー以外のことに全く取り組めていませんでしたが、今思うともう少し何か違うことに取り組んでいても良かったのかなとも思います。デュアルキャリアと言われるように、サッカーをやりながらも別の事業を立ち上げておく等しておけば、 引退後の心配があまりなく、現役生活をもっと楽しめたのかなという想いはありますね。やはりどこかで常に引退後の不安はつきまとっていたので。
現役の選手が抱く引退後の不安はどんなところにあると思いますか?
徳永さん:やはりお金(収入)の部分が一番大きいと思います。特に家庭がある人は収入が急に無くなって、どうやって稼いでいくのかに不安を抱くのかなと。サッカーしかやってこなかった中でいきなり他の業種に飛び込むというチャレンジはなかなか難しい部分もあって、サッカー関係の仕事に行きがちなのかなと思います。失敗したらどうしようという想いもあると思いますが、その選択肢だけだと、その人の可能性を狭めてしまうことにもなると個人的には感じています。
徳永さんはサッカーから農業へと一見全く違う業界へのチャレンジをされているように思いますが、恐さや不安はありませんでしたか?
徳永さん:農業は本当に自分が興味を持ったことで、これから事業として成り立っていくかは課題もありますが、興味があることにチャレンジ出来るということ自体が恵まれていると思います。
もし引退後について現役の選手にアドバイスをするとしたら、どんなアドバイスをされますか?
徳永さん:人それぞれの考え方はあると思いますが、必ず現役選手の終わりはやってくるので、現役の時に動き出しておいた方が良いと思います。自分の場合は周りからもサッカーに集中しろという声が多かったが、今はそういう時代じゃないですし、チームが引退後を面倒見てくれる訳ではない。自分の人生は自分でしか作れないですよね。そういう意味では現役中に引退後の柱を作っておくのも一つの方法として良いのかなと思います。
現役中は競技に集中しないといけない、一方で引退後のことも考えないといけないとなると、そこのバランスはどのように思われますか?
徳永さん:そこは割とサッカー以外の取り組みをやっている人も増えてきていると感じています。長友佑都選手や本田圭佑選手のようにモデルとなる選手が事業をやっていることで、そういった情報も入ってきやすくなっていますね。自分がプロになった当時はそんな考え方もありませんでしたし、チームや サポーターの方々からも良い顔はされなかったと思います。
現役を終えて、新たなチャレンジをされていますが、今を一番充実するために心がけていることはありますか?
徳永:「どうだろう?」と思うこともまずは動いてみることですね。動いてみると思っていたのと違う感覚が得られることがあります。また色々な方を巻き込んで、同じ想いを持った人たちと共に事業に取り組むとより自分も楽しめて、物事が加速して進んでいるように感じますね。
新たなチャレンジをしてみて良かったことを教えて下さい!
徳永:動き出してみて初めて見えてくる事が沢山ある事に、この3〜4ヶ月で特に感じています。本当に動くことの大切さに気づかされますね。もしダメだったらダメで次にまたチャレンジすればいいやと思っています。とにかく先ず動いてみることが重要だと思います。動いてみるといろんな人に出会えて、いろんな人に応援してもらったり、感謝してもらったり、一緒に自分の想いを組み取ってくれて協力してくれたりと、ただ父の会社をやっているだけでは生まれなかったことが生 まれてきていますね。人と人との繋がりを作って、より多くの人を巻き込んでやれている感覚があるので本当にやって良かったと感じています。
最後に今後のビジョンについて教えてください!
徳永さん:何のために地元に帰って来たかを考えると大好きな長崎の役に立つ仕事をしたいという想いが強くて、それをちゃんとカタチにするために一般社団法人USを立ち上げて取り組んでいます。これからも多くの方にUSの活動についても知っていただきたいですね。人を巻き込むことで、大きな輪を作り、多くの人に喜んでもらって、多くの人に幸せを感じてもらえるようなチャレンジをしていきたいと思っています!
徳永 悠平Tokunaga Yuhei
1983年9月25日生まれ。長崎県南高来郡国見町(現・雲仙市)出身。
国見高校2年生時に総体・国体・全国高校選手権と3連覇を達成し、3年生時には全日本ユース選手権と全国高校選手権の2連覇を達成。
その後早稲田大学に進学し、卒業後にFC東京(J1)に入団。
2004年にはアテネオリンピックメンバーに選出され世界大会も経験。その後15シーズンに渡りJリーグの舞台で活躍し、2020年に地元長崎のV・ファーレン長崎で現役を引退。