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INTERVIEW

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森下 俊 元ジュビロ磐田、京都サンガ他

~「35」に思いを込めた「ユメノアトサキ」~

2005年にジュビロ磐田に⼊団。トータル5クラブに在籍し、16年間プロサッカー選手として第一線で活躍され2021年2月に現役を引退。現在は現役時代から自身で立ち上げられたアパレルブランドの運営を中心に、複数の事業を展開されている森下俊さんの「ユメノアトサキ」に迫ります。(インタビュー時期/2021年10月)

最初に今取り組まれている事業について教えていただけますか??

森下さん:昨年2021年3月に会社を設立して、3年前に現役時代から立ち上げていたアパレルブランド「CVRIG(カバリグ)」の運営を主に行なっています。 自分でアパレルブランドを立ち上げる前からアパレルのモデルをさせていただく機会があり、その中で自然と興味を持ち、自分の好みに合わせてやってみたいと思うようになりました。

3年前にご自身でアパレルブランドを立ち上げられたきっかけを教えていただけますか?

森下さん:現役時代にもそろそろ終わりが見えてきて、高校卒業からプロとして入団させていただいて いて、アルバイト等の社会経験もなく、引退後どのようにすれば良いのか分からずにいました。そ の中で少しでも勉強と思って、アパレルのモデルをさせていただいたこともあり、また現在私の後援会をしてくださっている会長がオーダースーツの会社を経営されていて、自分自身も服が好きだったということがブランドを立ち上げた経緯ですね。

アパレルブランド「CVRIG(カバリグ)」と会社名「トラントサンク」の名前の由来について教えてください。

森下さん:ポジションがディフェンスで、自分のプレースタイルもカバーリングが得意だったということもあり、それが由来で「CVRIG(カバリグ)」という名前にしました。自分自身ディフェンスの中ではそれほど大きい方ではなかったので、味方が前に出て、後ろをカバーする役割が多かったように思います。 「トラントサンク」はフランス語で「35」という意味があります。7年前に横浜FCからジュビロ磐田に戻った際に「35歳までは現役を続ける」という想いがあり35番を付けさせていただいていました。 正直なところ、自分自身はそれを決めた当時それほど長く現役では出来ないだろうと思っていたんです。その後35歳の年に会社を立ち上げ、自分の中では特別な数字でもあったので、それを会社名に取り入れました。

アパレル事業以外にも取り組まれている事業があると聞きましたが?

森下さん:今はアパレル事業以外にも、企業コンサルティングも行なっています。地域リーグでプレー している選手と企業の役に立つことが出来たらということで、主には人事関連のことに関わっています。 こちらの事業に関わるようになったのは、現役を引退する最後の年にJ3のチームに所属させていただいて、そのときに自分より若い選手も沢山いて、現役を引退した後どうするのか心配だったことがきっかけです。プロなので、チームに所属していると報酬はありますが、少し前までは中にアルバイトをしながらの選手もいましたので、サッカーをやりながらも引退後のキャリアを築いてあげられたらという想いがあります

高校から地元を離れてジュビロ磐田のユースチームに所属されていますが、部活ではなくユース チームを選択されたのは何故ですか?

森下さん:高校のカテゴリーへ進学する際には、ジュビロ磐田、サンフレッチェ広島、名古屋グランパ ス、四日市中央工業高校、三重高校、の選択肢があり、三重県サッカー協会の関係者の方から、プロを目指すならJクラブのユースに行った方が良いとアドバイスをいただいたのがきっかけ でした。部活動で高校サッカーへの憧れはありましたが、プロへの1番の近道はユースということもあり、3つのクラブの選択肢があった中でも、同郷で仲の良かった選手も行くということでジュビ ロを選択しました。

プロを意識し始めたのはいつ頃からでしたか?

森下さん:プロにはずっとなりたい思っていましたが、具体的に意識し始めたのは高校生になってからでした。高校1年生の冬にジュビロのトップチームと合同でキャンプをするんですが、その当時中山雅史さん、名波浩さん、福西崇史さん等の黄金世代の方々がおられて、明らかなレベルの差がありましたね。 全く練習には付いて行けず、「これはヤバイな」と感じたのを鮮明に覚えています。判断にしても、 フィジカルにしても、全てにおいてスピードと規格が違っていました。

レベルの違いを感じて、ご自身で取り組まれたことはありましたか?

森下さん:全てにおいてレベルアップしないといけないなと思って、練習後に残って自主的にトレーニ ングするようにもなりました。その当時、他のチームはまだあまり取り入れていない中で、ジュビロ はパスを中心としたサッカーをしていたので、特にクサビのパスの練習は意識的に取り組んでいました。 高校3年生の時に監督が変わり、基礎的な内容をメインに練習を組んでくださる方で、それが輪をかけてスキルに磨きがかかっていったように思います。

実際にプロになることが決まったのはいつ頃でしたか?

森下さん:高校3年生の夏でしたね。来年からトップリーグで契約するからと言われて、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。実は僕の世代はプロに6人上がっていて、特に多い年でしたね。サンフレッチェも同じく6人プロに上がっていました。

プロになった最初はどんなことに苦労されましたか?

森下さん:プロになった最初の方は先輩選手から厳しい言葉を練習中に言われたこともありました。 これがプロの厳しい世界なんだという認識はそこで芽生えたんだと思います。厳しい言葉を言う先輩もプロの世界で様々な経験をされた上での言葉なので、自分自身を奮い立たせるきっかけになっていたと思います。

プロ生活を16年間続けられたのは何故だと思いますか?

森下さん:だいたいプロサッカー選手の引退は平均すると25〜26歳かと思いますが、自分の場合は 常に必要としてくれるクラブがタイミング良くあって、その行く先で上手くステップアップしていくことが出来たのだと思います。その中でも特に監督がやろうとしていることに関しては理解して取り組むようにしていました。ただ外国人監督の時には全然ハマっていなかったですね(笑)

16年間の中でどの試合が一番印象に残っていますか?

森下さん:デビュー戦です。ACLの消化試合だったんですが、若手が出れるチャンスで、しかもその日は自分の誕生日でもありました。中国のクラブチーム相手に、ホーム戦でサポーターの方々も沢山観に来てくださっていて「こんな舞台でサッカーが出来るのか」と当時身震いしたことを今でも覚えていますね。改めてここからプロ生活が始まるという感覚にもなりました。

プロ生活の中で何か辛い経験はありましたか?

森下さん:怪我が多かったことですね。川崎フロンターレに所属していた際に、プレーの調子は良くても翌朝起きると筋肉が張っているということも良くありました。朝起きるのが怖い時もありましたね。 ある日の試合後に、足に力が入りづらくなり病院で診てもらうと、原因は不明でしたが腓骨(ひこ つ)神経が癒着していて、手術をすることになりました。その手術をしてから肉離れ等も増えてき て、30歳を過ぎてからは特に怪我に対する恐怖心が増していましたね。

現役引退はいつ頃から意識していましたか?

森下さん:30歳を過ぎてからですね。30代になると、選手としてチームからの見られ方もシビアになってきますし、試合に出ていた選手でも30代に入った途端に契約を切られているのも見てきていました。プロとしてのキャリアが終わった後に何かをしようというビジョンが具体的になかったので、 まずはやってみようという意識でアパレルの分野には取り組んでいました。

現役選手をしながら別で事業をされる方も増えてきているように思いますが、それについてはど のように思われますか?

森下さん:アパレルの分野は特に増えてきていますね。ただ自分自身現役時代の時は正直なところ抵抗もありました。周りからはサッカーに集中しろという声もありましたので。ただ引退後の人生については自分でしか責任が持てないですよね。その当時は発注がある都度自分で発送の手配等もしていたので、選手をしながら大変な部分もありました。ただ今思えば良い経験だったと思います。ファンの方々はお金を払って観に来てくださっているので、シビアに見られるのは当然のことだと 思います。結果が出ていなければ、サッカー以外のことに手を出しているからと思われても仕方ないですね。

京都に森下さんの後援会があるとお聞きましたが?

森下さん:京都サンガに所属していた際に仲良くなった社長のご縁で、後に後援会の会長となってい ただくオーダースーツ会社の経営者の方を繋いでいただきました。もともと京都は地元でもなく、 後援会を作っていただいたのもジュビロに戻ってからなので、本当に感謝しかないですね。 後援会には企業の経営者の方から弁護士や司法書士と言った士業の方々等、僕がビジネスを していく上でも必要な方々を意図してお声がけいただいたんだと思います。おかげさまで周りの 方々の助けもあって会社を設立させていただくことも出来ました。もともと人見知りですぐに打ち 解けるタイプでもないので、後援会を立ち上げてくださったことに対して本当に感謝していますし、 成功で恩返ししていけたらと思っています。

プロ生活を振り返って、現役時代にやっていて良かったと思うことは?

森下さん:僕自身指導者の道はあまり考えていなかったので、サッカー以外の何かをやらないといけないなという意識は常に持っていました。もし現役を終えてから取り組んでいたら、それこそ右も左も分からないまま新たな世界へ飛び込んでいくことになるので、自分の中では現役中にアパレルのことを取り組んでいて良かったと思います。また現役選手というブランディングは世間でも認知されやすいため、引退してから元Jリーガーとしてやるよりも、現役選手としての看板でやることのメリットもあったように感じています。

プロを引退してからの方が長いですが、引退後をより良くするためにやっておけば良かったこと はありますか?

森下さん:今思うとパソコンのスキルはある程度身につけておいた方が良いですね。今の時代パソコ ン無くしては何もビジネスは出来ないと思いますので。業種にもよるとは思いますが、アパレルで あればECサイトを運営して、受発注等もパソコンで管理します。 選手会がスキルの取得に関しては資金的にも援助してくれるので、それをもっと活用しておけば 良かったと思います。ドローンの操縦の資格を取っている選手もいましたね(笑)。現役中にそういった活用できる制度があるのであれば、もっと活用しておけば良かったと思います。結構サッ カー選手は午前中練習で午後はフリーになっているので、もっと上手くそういったスキル習得等に時間を使えば良かったと今思うと反省ですね。

現役選手にこれだけはやっておいた方が良いとアドバイスするならどんなお話をされますか?

森下さん:僕もやれていなかったので、反面教師にしていただければと思いますが、特に人脈は重要だと思いますし、コロナ禍ですがもっと異業種の方と交流すれば良かったと思います。中にはそれを利用する人がいるので見極めは大事ですが、知り合い経由であればある程度信頼も出来ますし、自分でゼロから築いていくのは大変だと思いますので。人脈があれば様々な変化にも対応できますし、何をするにしても大事だと感じています。今はとにかく分からないことは知っている人 に聞きまくっていますね(笑)

最後に今後の事業のビジョンについて教えてください。

森下さん:今はアパレル事業の規模を拡大して、より認知していってもらいたいですね。また企業コンサルティングの方は、選手の今後のセカンドキャリアをより良くできるような取り組みも併せてやっていきたいと思っています。主な提携先としては、介護事業や製造業があります。介護事業 に関しては働く側にとって比較的大変なイメージがあるので、その壁を無くすようなこともしていき たいと思っています。自分が関わることで、多くの人たちにとってWIN-WINの関係を築いていき たいと思っています。

森下 俊MORISHITA SHUN

1986年5月11日生まれ。三重県伊勢市出身。

中学卒業後に故郷を離れジュビロ磐田ユースでプレー。
その後川崎フロンターレなど合計5クラブを渡り歩き、Jリーグ通算215試合に出場。
また現役時代から自身のアパレルブランド「CVRIG(カバリグ)」を立ち上げるなど、ビジネスマンとしての商才も発揮。

2020シーズンを最後に現役を引退し、株式会社トラントサンクを設立。