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INTERVIEW

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福永 春吾 元阪神タイガース

~158km剛腕漢のNEXTステージはメキシコ~

2016年にドラフト6位で阪神へ入団。4年間のプロ野球選手としてのキャリアを経て、現在は四国アイランドリーグplusに加盟する徳島インディゴソックス(以下:徳島)に所属。選手として海外への挑戦を視野に入れながらも、ビジネスへの取り組みも両立されている福永春吾さんの「今」に迫ります。

プロを離れてからの現状について教えていただけますか?

福永さん:2020年に阪神タイガースから戦力外を受けて、その後はもともとプロになる前に在籍していた四国アイランドリーグplusに加盟する徳島に戻りました。 実は阪神に入団する前から、徳島にいた際に北米遠征に行った経験があり、そのときからいつかは海外でもプレーしたいと思っていました。実際に阪神へ入団する前にもサンディエゴ・パドレ ス(以下:パドレス)からオファーをもらったこともありましたが、その当時は日本でドラフトに指名してもらうことに集中していたので、お断りしていたんです。ただ日本のプロ野球から離れたのをきっかけに、再度海外へ行くことに興味を持つようになりました。 海外の球団を探し出したときには、就労ビザの問題等で断念せざるを得ない状況もありました が、準備を進める中でメキシコのウィンターリーグへの参加オファーをいただきました。

メキシコからオファーがあったのは何かきっかけがあったのでしょうか?

福永さん:近年日本人の価値がメキシコの中でも高まっていて、向こうでは元プロの日本人ピッチャーを探しており、こちらからも興味がある旨で手を挙げていました。 そして、自分のプロフィールとプロ野球時代の動画も送ったところ、本来はウィンターリーグでのプレーを見て実際に各チームで獲得するかを判断すると思いますが、早速2022年4月からの本契約でドゥランゴジェネラルズから申し入れがありました。 メキシコからメジャーリーグへの移籍も可能性としてはあるので、今後の可能性がより広がっていると感じています。

話は遡りますが、過去にはプロになることを諦めたことがあるとお聞きしましたが?

福永さん:そうですね。小さい頃から憧れとしてずっとプロ野球選手になりたいと思っていました。 高校へ進学する際には、甲子園を目指せる高校を選択して1年生の夏から背番号をもらっていました。そして、夏が終わってからはエースとして投げさせていただいていました。 ただ、2年生の夏前に肘を疲労骨折してしまい、完治しそうなタイミングでまた怪我をしてしまったんです。初めての大きな怪我で、野球から離れる時間が長くなり、徐々に気持ちも離れていって しまっていました。この当時はプロ野球選手になることは諦めていましたね。

そこからどのようなきっかけでプロを目指そうと思われましたか?

福永さん:高校3年生の夏の甲子園で同世代の選手が活躍している姿を観て、もう一度野球をやりたいと思うようになりました。肘の状態には不安もありましたが、病院で診てもらうと問題はないとのことだったので、高校で出来なかった分ぐらいは出来たらという気持ちで、再度大阪の独立リーグに加盟するチームで野球を始めました。 野球を離れてからブランクもありましたが、実際にやっていると徐々に調子も上がっていき、韓国のプロリーグを経験されていたチームの先輩から、「その実力であればプロを目指せる」と言っていただいのが、プロを目指すきっかけになりました。そこからドラフトで指名を受けるためには、スカウトの方からもより目に留まりやすい四国アイランドリーグplusでプレーした方が良いと思い、 自ら移籍を希望しました。

ー四国の中でも徳島に行かれたのには何か理由があったのでしょうか?

福永さん:移籍する際にはプロの輩出数が多いチームに行きたいと考えていました。徳島を選んだのは、その当時ドラフト指名から支配下契約でプロになっている選手が一番多かったからです。実際に投げている姿を観てもらって、その場で入団を即決していただきました。 入団後の開幕戦が福岡ソフトバンクホークスの3軍との試合で、この試合での経験がプロを目指す上で大きな自信になりました。相手チームには現在1軍で活躍しているような選手もいましたが、9回無失点16奪三振という結果を残すことが出来たんです。

それだけの結果を残されていれば、すぐにでもドラフトの声が掛かったのでは?

福永さん:入団した1年目からも調査書は来ていて手応えはありましたが、その年はドラフトで選ばれることはなく、その1年間でプロになることが無理だった場合は諦めてチームを辞めようと 思っていました。 今後の進退のことで徳島の社長と面談した際に、「メジャーのレッドソックスと他もう一球団からも オファーが来てるけど、どうする?」という話になり、それだけのチームが興味を持ってくれているのであれば、もう一度日本でプロ野球選手になることを目指したいと思い、もう一年挑戦することにしたんです。

その当時は海外でやろうとは思いませんでしたか?

福永さん:その時は野球を続けるなら日本のプロ野球でやりたいという想いが強かったので、海外を目指すことはせず、先ずはドラフトに選ばれるように努力しようと決めていました。ただ、徳島に来た2年目の夏にパドレスからもオファーが来た時には少し迷いましたね(笑)。 2年目は1年目以上に調査書も来ていて、リーグ内でも申し分ない結果を残していたので、今年こそはということでドラフト指名をいただき阪神に入団させていただくことになりました。

ー実際に阪神に入ってから、それまでとどんなギャップがありましたか?

福永さん:対戦相手がプロになるとバッターのミスショットが少ないので、ラッキーなアウトになることがほとんどなく、どのようにして抑えていくのかをそれまで以上に考えるようになりました。 またミスが許されない緊張感は想像以上でした。限られたチャンスの中で結果を残していかなければならず、「ここで打たれてしまっては、すぐに下に落ちる」というネガティブなプレッシャーを感じることも少なくありませんでした。いかに心の持ち方が重要であるかを身にしみて感じていた時期でもありましたね。プロの世界では当然のことですが、楽しいだけではやっていけません。

ープロ生活の中で一番印象に残っていることは何でしょうか?

福永さん:阪神には4年間在籍させていただいて、プロになることは小さい頃からの憧れでもあり、一度高校時代に諦めてしまった甲子園の球場で先発出来たことは夢が叶った瞬間でもありま した。 ただプロとしてプレーをしていく中では、メンタル面や考え方の部分が特に重要で、自分は繊細に考え過ぎていた部分があったので、もう少し割り切りながらプレーしていても良かったのかなと今 振り返ってみると思いますね。

プロを離れてからのことはいつ頃から考えられていましたか?

福永さん:戦力外通告を受けるまでは、日々プロとして全力を注いでいましたので、その後のことは特に考えられていませんでした。戦力外通告を受けてから徳島に戻らせていただいたのは、プロになる前に徳島に同期入団していた当時のチームメイトの方が選手からコーチになっていて、 「また一緒にやらないか」とオファーをもらったことがきっかけでした。 「もう一度準備をしてプロに再度挑戦するなり、海外を目指しても良いのでは?」とそのときに言ってもらったんです。社長からも徳島へ戻る際に、「ここまで来たら、ただ野球をやるだけでは良くな い。自分でビジネスも考えながら野球をやりなさい」と言われましたね。

そこからは何かご自身でもビジネスを始められたのでしょうか?

福永さん:入団してからは、選手をしながら子ども向けの野球教室を自ら主催して行っていまし た。もともとは選手をしながらも出来るビジネスとして考えている部分もありましたが、実際にやってみると子どもたちの成長が目に見えて感じられて、やりがいを感じるようになっていたんです。 いま自分が教えられるものは日本で経験した野球だけなので、海外に行って自分の肌で感じた野球を伝えられるようになれば、もっと子どもたちの成長にも貢献できる。野球教室をしていなけ れば、海外でプレーすることに対してここまで想いが強くなっていなかったかもしれません。 昨シーズンは徳島の球団からは選手としての報酬はいただかず、社長に許可をいただいて、自 分で企業に営業をしてスポンサーを募り、ビジネスの面で収入を得ていました。社長からも「営業の練習をしなさい」と言われていたんです。野球とビジネス、二つの軸を持って活動していました。

並行してビジネスをする中で、野球自体がおろそかになることはありませんでしたか?

福永さん:ビジネスへの取り組みを許可していただいたのは、僕自身が野球に対して手を抜かず取り組むことを理解してくださっていたからだと思います。 社長も過去にオーストラリアでプロとして野球をされていましたが、報酬が少なかったことから、現地の日本企業に自らアプローチしてスポンサーを募っておられました。これからの自分のキャリアにおいては、その当時の社長と同じようにただ野球に取り組むだけでは駄目だと感じています。

今後のビジョンについて教えてください。

福永さん:先ずはメキシコに行って中南米の野球を実際に経験したいですね。同じアジア人でも 韓国や台湾とでプレースタイルが全然違ったりもするので、全く違う地域に行って新たな発見が出来ればと思っています。 今後いつ選手を引退するか等はまだ決めていませんが、また子どもたちに教える活動はしていきたいと思っています。特に今後教えていく中では、ピッチャーに特化した野球教室にも取り組ん でみたいですね。 対象は主に小中学生になりますが、この世代は各チームに投手コーチがいる訳ではありません。ただチームにはエースの子以外にも複数ピッチャーの子はいて、チームの総力を上げようと思うと、間違いなくエースの子以外も伸びていく必要があります。 過去に教えた子の中には、エースではない選手が110km/hからたった1ヶ月で13km/hも球速が 上がった選手もいました。体が急に大きくなった訳ではなく、ボールへの力の伝え方が少し変わるだけでも大きく変わることがあります。 ちょっとした意識の変化で大きく変化する子どももいて、指導出来る幅を広げることで子どもたちの可能性をもっと広げられるようになりたいですね。関わることで子どもたち自身が「チームの エースになりたい!」「甲子園に出たい!」というような各々の目標を叶えていってくれればと思います。

福永 春吾FUKUNAGA SHUNGO

1994年5月14日生まれ。大阪府高槻市出身。

金光大阪高校時代にエースでありながら怪我に苦しみ、その後同校を中退し通信制高校へ編入。一時期は野球から離れるも、再起を誓い独立リーグで現役復帰。
徳島インディゴソックス在籍中の2016年ドラフト会議にて阪神タイガースより6巡目位指名を受け入団。

その後2022年よりメキシコのドゥランゴジェネラルズに入団。