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堂安 憂 元AC長野パルセイロ
「Jリーガー」から「経営者」へ。堂安憂の「ユメノアトサキ」

2018年にAC長野パルセイロに入団。現役中は怪我に苦しみ、惜しまれながらも志半ばで2年間のプロ生活に終止符を打ち、地域リーグで1年プレーした後に引退。現在は、実弟でもある堂安律選手(PSVアイントホーフェン)と共に尼崎を拠点にサッカースクールを事業展開されている堂安憂さんの「ユメノアトサキ」に迫ります。
現在の取り組みについて教えてください。
堂安さん:尼崎のキューズモールの屋上にフットサルコートを建設して、2022年4月から幼稚園の 年中から小学6年生までを対象にサッカースクールを開校します。 大学生の頃に教員免許を取得していて、サッカーの指導に携わることにはもともと興味を持って いました。大学生の頃サッカースクールの指導を手伝う機会があり、子供たちを指導する中で「こ れが仕事になれば幸せだな」と当時から感じていました。
いつ頃からセカンドキャリアについては考えていましたか?
堂安さん:AC長野パルセイロ(以下:パルセイロ)に入団して、2年目のシーズンに膝を怪我して思うようにプレーが出来ず、契約満了を迎えました。その後は関西1部リーグに所属するおこしやす京都ACに移籍をしましたが、自分の中でJ3より下のカテゴリーになった時点で選手としてのキャリアはそこまでにしようと考えていました。 その頃からサッカースクールをすることは決めていて、律とも徐々にどのようにするのか話し出していました。
過去の経験が今に繋がっていると思いますが、いつ頃からプロになりたいと意識し始めていましたか?
堂安さん:実は大学生になるまでは自分がプロになるという意識は持っていませんでした。具体的に意識し始めたのも大学3年生になってからです。 高校生の頃に、松本山雅FCの練習に参加させていただく機会もありましたが、その当時は純粋にサッカーを楽しみたい気持ちが強く、様々な点において要求されるレベルが高いプロの環境はまだ自分に合っていないと感じていました。
大学3年生から具体的にプロを意識し始めたきっかけは何でしょうか?
堂安さん:大学に入学した当初は周りのレベルが高くて正直驚きました。2年生になってからようやく試合に絡むようになっていき、3年生から思うように結果が出始めていったんです。Jリーグのチームと練習試合をする機会もあり、自分が得意としていたドリブルが通用したことも大きな自信になっていました。 就活の時期が来て、自分もスーツを買って準備をし始めたタイミングで、パルセイロから練習参加のオファーをいただいたんです。実際に練習に参加してみると、高校生のときに感じていた程のレベルの差は無く、純粋にその環境でもサッカーを楽しめている自分がいました。これであればプロとして挑戦したいと感じるようになっていましたね。
学生時代とプロの環境でのサッカーとで感じたギャップはありましたか?
堂安さん:1番感じたのは責任感の違いですね。プロになった初めてのシーズンで開幕戦に出場させていただいたんです。そこでサポーターの方々の本気の熱量をピッチに立って感じました。 学生の頃のように楽しいだけでは駄目で、開幕戦での負けは自分が大きく変わらないといけないと感じるきっかけでもありました。
ご自身で意識的に何を変えていきましたか?
堂安さん:それまではあまり意識出来ていなかった食事面においては栄養士の方にアドバイスを 受けて変えたり、避けていたフィジカルトレーニングも意識的に取り組むようになりました。 トレーニング前もそれまでは20〜30分前に行っていたのを、1時間半前には到着して入念にストレッチをしてからトレーニングに臨む等、とにかく意識的なところからやれることは全て変えていき ました。

プロ生活の中で印象的な出来事は何でしょうか?
堂安さん:初ゴールが1番印象的で、自信が確信に変わった瞬間でもありました。これまで自分がやってきたことは決して間違いではなかったと思えたんです。 その得点をきっかけにコンスタントに得点が出来るようになっていましたが、2年目を迎えるキャン プで内側靭帯を怪我して、全治3ヶ月となりました。その後復帰するものの、1ヶ月後に今度は左膝の内側靭帯を怪我して、半年間棒に振ることになったんです。
怪我をしていた期間はどんな心境でしたか?
堂安さん:とにかく悔しかったですね。特に2度目の怪我をした際は、怪我から復帰して試合で点も取っていた矢先だったので。ただ、やはり後悔しているのはフィジカルトレーニングを過去に怠ってしまったことですね。 怪我をしないのも実力の内で、もっと下半身を以前から鍛えていれば、これほど怪我をせずに済んでいたのかもしれません。自分が監督の立場であれば、怪我をする選手は起用しにくいですし、紛れもなく自分のせいだと思っています。
プロの環境下で経験出来て良かったことは何でしょうか?
堂安さん:厳しい責任感のもとやっていたからこそ、ゴールを取ったり勝利したときのサポーターの方々からの声援は、嬉しくて涙する程の感動でした。 そのときの経験からも、自分がこれから取り組んでいく子供向けのスクールにおいてはプロのときと同じように責任感を持って取り組まないといけないと感じています。自分のような後悔は決し てしてほしくないですね。
サッカースクールではどのようなことを伝えていきたいと思っていますか?
堂安さん:自分もプロになった経験があるので、どうすればプロになれるのかを自分の経験を基に伝えることが出来ます。それに加えて、律を1番身近で見てきたので、なぜ彼があそこまでいけたのか、自分との差は何だったのかも具体的に伝えることが出来ると思います。 律とは仲が良くて、毎日のように電話をしてサッカースクールをどうしていくか等話していますね。
1番身近で律選手を見て来られて、世界で活躍されている要因は何だと思われますか?
堂安さん:間違いなく気持ちの強さですね。特に負けん気の強さは僕が知る限り日本一です。そしてメンタルがとにかく強い。プロの世界では上手い選手が沢山いますが、気持ちがブレずに実力を発揮し続けられる選手はそう多くないと思います。律はサッカーに限らず、遊びも含めて全てにおいて負けず嫌いでしたね(笑)。
今後どのような想いで事業を展開していこうと思っていますか?
堂安さん:僕も律も尼崎で育ち、サッカーがあったからこそ今の人生があると思っているので、 サッカーを通してまずは尼崎に恩返しをしたいという想いが強くあります。 それを実現するために、尼崎にサッカースクールを開校して、僕らのメインコンセプトでもある「世界に羽ばたく選手を育成する」を基に、第二の律のような選手を輩出していきたいと考えています。さらには律を超える選手がそこから輩出出来ればこれ程嬉しいことはないですね。
サッカースクールの名前にもコンセプトがあるとお聞きしましたが?
堂安さん:そうですね。サッカースクールは「Next10」という名前で、次世代の10番を輩出するという意味合いがあります。律が東京オリンピックで10番を付け、またA代表でも10番を付けたいと いう想いも込められています。
最後に、世界に羽ばたいていく上で必要なものは何だと思われますか?
堂安さん:世界で活躍するためには圧倒的な個人スキルも必要ですが、それ以上にメンタル面も必要になってきます。メンタル面に関しては、人間力があって初めて磨かれていくものだと思いま すし、人間力の向上も指導のコンセプトに入れています。 例えば、試合が終わった後に「ありがとうございました」と言いますが、最後の「た」まで感謝の意をもって言えているかどうか、こういった人として大切な部分も教えていきたいと考えています。
堂安 憂DOAN YU
1995年12月14日生まれ。兵庫県尼崎市出身。
セレッソ大阪U-18から創造学園高校に進学し、2012年の全国高校総体、全国高校サッカー選手権に出場。3年次は主将を務めた。その後びわこ成蹊スポーツ大学を経てAC長野パルセイロへ入団。2020年よりおこしやす京都ACに入団し、2021年シーズンをもって現役を引退。
引退後は弟ので日本代表の律(PSVアイントフォーヘン)と共に地元の尼崎市でサッカースクール「NEXT10 FOOTBALL LAB」を経営。