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脇 裕基 元藤枝MYFC
地域リーグ経由Jリーグ行き。脇裕基の「ユメノアトサキ」
2016年にJ3に属する藤枝MYFCに入団。その後、地域リーグに属するおこしやす京都ACでのプレーを経て、2020年に現役を引退。引退後は一般企業へ就職され、営業職としてご活躍されている。サッカーで培った経験を、日々のビジネスにも活かして取り組まれている脇裕基さんの「ユメノアトサキ」に迫ります。
ーいまされているお仕事について教えてください。
脇さん:現役を引退してからは、建設業向けのCAD *のシステム営業をしています。いま所属して いる支社はチームとしての一体感があって、サッカーと同じようにチームワークを感じられるとこ ろが楽しいですね。 営業の仕事になってからもトップセールスを狙っているので、サッカーのときと変わらずランキン グ表を見ると燃えます(笑)。 *CAD:コンピュータによる図面等の設計支援ツール
ーもともと営業に対してどのようなイメージをお持ちでしたか?
脇さん:いまの仕事をする前は営業に対して押し売りの感じが強くて、とにかく飛び込みをしているイメージを持っていました。 ゴリゴリの営業をすると思っていましたが、実際に会社に入って印象は大きく変わりました。お客様に対して第一に役に立ちたいという考えじゃないとご契約いただくことはないですよね。
ー営業の際に心がけていることはありますか?
脇さん:いきなり商品を提案するのではなくて、お客様が求めていることや、何に困っているかを 聞いた上で、自社のサービスを提案するようにしています。一緒に考えるようにしていますね。ゴリゴリ営業しているだけでは売れません(笑)。
ーサッカーについてもお伺い出来ればと思いますが、いつからプロを目指していましたか?
脇さん:小学生の頃からずっと目指していました。ただ、中学生の頃は所属していたチームが強くてほとんど補欠でしたね。1人だけメンバーから外れていたこともありました。 それでもサッカーが楽しくて好きだったので頑張れたんだと思います。その状況であるにも関わらず、プロになれると信じ続けていました。
ープロを目指す中で気持ちが揺らぐことはありませんでしたか?
脇さん:時には心が折れそうになることもありましたが、僕の場合は高校2年生のときが転機でし た。それまでは大して大きい選手でもなかったんですが、身長が15cm伸びて、ゴール前でのポストプレーを監督が評価してくれて、そこからFWとして自分の強みに自信を持ってプレー出来るようになったんです。 何か根拠があった訳ではないですが、自分の強みを活かせばまだまだプロへのチャンスもあると感じていました。
ー大学生のときに、よりプロを明確に意識するようになったとお聞きしましたが?
脇さん:そうですね。ただ大学生の頃も入部当初はCチームからのスタートで、先輩からも「そんなに下手なら辞めたほうがいい」とまで言われたこともありました。 自分の中では侮辱されたり、批判されたりするとより反骨精神で見返したいという気持ちが強くなって、それが成長にも繋がっていたと思います。 また自分の場合はチーム内の先輩に「こんな人になりたい」と思える存在がいたのも大きかったですね。現在レノファ山口FCでプレーされている大槻周平さんですが、利き足も一緒で、プレーだ けでなく、髪型から何まで真似をしていました(笑)。
ー大学生のいつ頃から具体的にプロを目指し出しましたか?
脇さん:2年生になってからトップチームで試合に出るようになり、リーグ戦で最初の2節が終わった段階で3ゴール決めていて、そこでゲキサカにも取り上げてもらい、自分にもチャンスがあるかもしれないと思いました。 ただ、その後3~4年生になってからはサブになることもあって思うように結果が残せないときもありました。それでも、父親からは「誰がどこで見てくれているかわからないから絶対にサボるな」と言われていて、腐らず日々努力している中で、Jリーグの複数チームから練習参加にも呼んでもらえるようになっていました。
ー大学卒業後、どのような経緯でプロになりましたか?
脇さん:在学中に最終的にはJリーグのチームに入団することは出来ず、卒業後は地域リーグに属していたアミティエSC京都(現おこしやす京都AC)に入団させていただきました。 そこでのシーズンを通した取り組みが評価されたのか、学生時代から注目してくれていた藤枝MYFCから改めてセレクションに来て欲しいと声を掛けていただいて、そこで入団することになり ました。父の言葉の通り、いつ誰がどこで見ているかわかりませんね。
ープロになってから印象に残っていることはありますか?
脇さん:いまでも初めて出たデビュー戦が印象に残っています。その試合で、ヘディングで少し触ればいいだけの決定的なチャンスを決めきれなかったんです。あれがいま振り返っても人生の分かれ道になっていると感じています。 もしあそこで得点していたらサッカー選手として大きく変わっていたんじゃないかなと。結果で評価される環境だと改めて感じました。実際にゴールしたシーンよりも印象に残っています。
ープロから地域リーグに戻ってからの心境はいかがでしたか?
脇さん:古巣のおこしやす京都ACに戻り、Jリーグのチームにチャレンジするためには結果が無ければ評価されないので、とにかく結果を出すことに集中していました。取り組んだこととしては、 もう一度基礎練習を徹底してやり直していましたね。 内容はシンプルで、1mの間隔で対面パスを足の一番止めやすいポイントで止めるトレーニング を繰り返し行なっていました。FWのポジションで止めることに余裕が出来るとその後のプレーの 幅も広がって、最終的にはゴール前のシーンが増えて結果にも繋がっていきました。 周りのチームメイトのおかげもありましたが、2018年シーズンでは関西リーグで得点王になることが出来ました。
ーいつ頃から引退後を意識していましたか?
脇さん:2019年末に所属していたおこしやす京都ACからは契約更新がなく、まだサッカーを続けたい気持ちがあったので、年が明けて2月まではチームを探していました。 ただ新型コロナウイルスの影響もあって各チームとも活動休止を余儀なくされていて、僕自身も家族を養っていく立場にあるので、一般企業への就活も並行して行なっていましたね。実際には2月半ばに引退することを決断して、完全に就活に切り替えました。
ーどういった軸で就活をされていましたか?
脇さん:サッカーしかしてこなかったこともあって、最初はどういう仕事があるかもわからない中での就活でした。父親が建設業を営んでいたので、そちらの仕事か営業職しかないと思っていまし た。自分の中では営業の仕事が良いと思っていて、人材会社で働いている知人からいま働いて いる企業を紹介してもらい、実際に社長にも面談させていただきました。 やはり最終的に決め手は人で、そのときの社長の雰囲気と人柄に魅了されてこの会社に入りた いと思いました。そこからは他の進んでいた企業もキャンセルしていましたね。
ー今の仕事ではどんな目標を掲げて日々取り組まれていますか?
脇さん:営業として働く以上はトップセールスになることですね。トップセールスの方はいま所属しているチームの上司にあたる方ですが、商談の決定率が高いのは勿論のこと、メンタルのコント ロールが上手いんです。 僕は営業をし始めて2年目から結果が出始めたんですが、営業が上手くいった時に少し満足してしまうところもあって、結果に波がありました。結果的に2年目は全体で6位の結果で終えて、今年こそはトップの方との差をより埋めていきたいですね。
ーサッカーを一生懸命やってきて今に生きていることはありますか?
脇さん:仕事においては行動量に繋がっていますね。サッカーであれば、例えば得点王になろうと思えば、それを達成するために日々のシュート練習を計画して繰り返し実行に移す必要があり ますが、それは仕事であっても変わらないと思います。 やると決めたことを継続してやり続けるということですね。社内の仲間にもその点については良く 評価いただきますし、学んだことを素直にやり続けることについてはサッカーを通して培ったもの だと思います。
ーいま振り返ってみて、現役のサッカー選手だった際にやっておけば良かったことはあります か?
脇さん:可能であれば何かしら営業の仕事をしながら、サッカーをしていたと思います。サッカー をしていたときはどうしても自分中心に考えてしまっているところがありました。 それが営業の仕事をするようになって、人のためにというスタンスで仕事をすることがいかに大切であるかを学びました。もし今のマインドでサッカーをしていたら、もっとサッカー選手としても成長出来ていたと思います。
ー具体的にサッカーにどのように活きていたと思いますか?
脇さん:もっと謙虚に物事と向き合えていたと思います。サッカーをしていたときは、結果がついて こないとよくイライラしてしまっていました。営業をすると良く分かるんですが、セールスは必ず相手がいて最終的にはお客様が決めることなので、結果を自分でコントロールすることは出来ませ ん。 これはサッカーも一緒で結果をコントロールしにいくのではなく、日々の活動やトレーニングは自分でコントロール出来るので、その部分を精一杯やって、もしそれでも結果が出なかったら仕方なかったと次に切り替えることが重要ですね。
ー最後に、今後のビジョンについて教えていただけますか?
脇さん:直近の目標であれば、今の会社でより上の役職を目指したいですね。自分がどうにか売 れるようになったのはマネージャーが教えてくれたおかげなので、次世代の後輩に自分が教わっ たことをそのまま恩送りとして教えていきたいと思っています。 またその先では明確になっている訳ではありませんが、自分に影響を与えてくれた父親や今の会社で人としても憧れである社長のような存在になりたいですね。 実現できるように、まずは今いる環境で実績を残して成長していきたいと思います。
脇 裕基WAKI HIROKI
1993年2月20日生まれ。大阪府出身。
2015年に大阪学院大学から関西1部のアミティエSC京都に入団。
2016年にJ3の藤枝MYFCに入団し2017年からは再度関西リーグに在籍。
前線での体を張ったポストプレーとゴール前での抜群の得点感覚で2018シーズンは激戦区である関西リーグで得点王を獲得。
2019シーズン限りで現役を引退し、現在は一般企業の営業職として活躍中。