伊藤隼太選手がキャリアインタビューを受けました
2022.01.31
高校時代には野球の強豪校でもある中京大学付属中京高校に所属し、文武両道を体現されて慶應義塾大学に進学。学生時代には大学日本代表にも選出され、日本の4番として世界大会で活躍。その後ドラフト1位で阪神タイガースに入団され、9年間に渡りプロの舞台を経験された。
現在は四国の独立リーグに加盟する愛媛マンダリンパイレーツに所属され、選手とコーチを兼任されている伊藤隼太さんの「今」に迫ります。
(取材日:2021.9)※写真撮影時のみマスクを外しております。
現在の活動について教えてください。
伊藤さん:現在は愛媛マンダリンパイレーツ(以下:愛媛)に所属して、選手とコーチを兼任しています。今年は怪我もあり、主にはコーチ業に専念していました。自分自身が選手として活躍することは勿論のこと、若手の選手に自分の経験を伝える等して、その中からプロ野球の世界へ行く選 手が出てきてくれたらと思っています。
どのようなきっかけから今のチームに所属することになりましたか?
伊藤さん:特に繋がりがあった訳ではなく、自分の所属が決まっていなかった時に愛媛が声を掛けてくださったのがきっかけですね。もともとはコーチを探されていましたが、自分自身は選手を続けたいという意志があったので、愛媛のフロントがチームでは初の選手兼コーチというポジションを用意してくれました。その取り計らいを粋に感じて、オファーを受けさせていただきました。
過去に遡りますが、野球を始められたきっかけを教えていただけますか?
伊藤さん:兄の影響で小学1年生の頃から野球を始めました。僕は4人兄弟の3番目で2人の兄が先に野球をしていて、地元のリトルリーグのチームに所属していました。人数が足りず助っ人で呼ば れてチームに参加し出したのがきっかけでしたね。最初は野球というよりボール遊びからでした。
いつ頃からプロを目指し出しましたか?
伊藤さん:小学生の頃から将来の夢はプロ野球選手と掲げてはいましたが、中学、高校と経験を積むにつれて、プロの世界は選ばれた人が行く特別な場所だと感じていました。特に高校生の時には上には上がいると痛感していたので、その当時はまさかプロになれるとは思ってもいませんでした。大学への進学を考え出したときも、最初は野球を続けるつもりはありませんでした。4人兄弟で、 それまで私学で自由に野球をさせてもらえていたこともあり、親に少しでも楽をさせられたらと 思って国公立の大学を目指そうと思っていました。ただ当時の監督に「ここで野球を辞めるのは もったいない」と言われ、慶應義塾大学(以下:慶應)へ進学して野球を続けることを薦めていただいたんです。大学に進学してからも最初はプロを目指していた訳ではありませんでしたが、 様々な経験を通して自分が思っていた以上に実力が伸びて、気づいた頃にはドラフトの声が掛かる程になっていました。 ただ、僕自身はプロ野球選手になるために逆算して取り組んできたというよりかは、「あいつに負けたくない、こいつに負けたくない」というような負けず嫌いの気持ちと、「あれが打てるようになりたい、これができるようになりたい」という向上心が成長をもたらしてくれたのだと思います。
高校生のときに、監督の方と進路に関してお話されたことについてもう少し教えていただけま すか?
伊藤さん:実は進路については監督に騙されたんです(笑)。慶應への進学を薦めていただいた時、 地元が田舎だったこともあって最初は慶應が大学の中でもどれぐらいに位置しているかあまり分かっていませんでした。親に相談してみると、「あの慶應か?すごいぞ、行けるなら行った方がいいぞ」と言われたんです。 その後自分でも考えた末に、折角の機会だと思い「慶應への進学をお願いします」と監督に伝えに行きました。すると、その後すぐに慶應の練習にも参加させてもらうことになったんです。最初は「慶應どうだ?」と監督から持ち出された話だったので、てっきり野球推薦で入れるものだと思っていました。それが実際にはAO入試の方式で、倍率は7〜8倍ほどあり、「受かるかどうかは実力と努力次第です」と言われて、「思っていたものと違う…」となったんです(笑)。愛知へ帰る新幹線で監督に「どうするんだ?」と聞かれましたが、ここまで付いて来てもらって断れる訳もなく 「挑戦します」と答えていました。そこからは怒涛の受験勉強と野球の日々が始まりましたね。
受験勉強と部活を両立するにあたって苦労もされたかと思いますが、どのような日々を過ごさ れていましたか?
伊藤さん:高校3年生の6月になると部活の強化期間があって、学校に1週間泊まり込みで合宿をするんです。練習が終わると他のチームメイトは体育館に布団を敷いて雑魚寝をするんですが、僕は一人だけ監督室の上に勉強部屋が準備されていて、ひたすら眠い目をこすりながら文字と向き合っていましたね。夜遅くまで勉強して、朝早くからバットを振る日々を繰り返していました。 その当時愛知県では負けなしだったので、甲子園には行けるものだと思っていましたが、残念ながら夏の甲子園の県予選決勝で惜しくも敗れてしまったんです。そこで部活を引退して、他のチームメイトは今まで部活しかなかった日々から、初めて部活のない夏休みが始まり楽しんでい ましたね。ただ、僕はAO入試の課題締め切りが間近に迫っていたので、家に缶詰状態で一歩も 外に出ず気づいたら夏休みは終えていました。その甲斐あってか、その後無事慶應に入学することが出来ました。
無事慶應に進学されて、大学野球を経験された当初はどのようなことを感じていましたか?
伊藤さん:当時は、大学野球がどれ程のレベルなのかは実際に試合を経験するまで、よく分かっていませんでした。その中でも、有難いことに1年生の時に試合に出させていただいたこともありましたが、結果は8打数0安打で全く通用していませんでした。正直なところ、この時点では大学より 先の人生で野球をやるとまでは思えていなかったですね。
その後大学で結果が出始めたのは何か理由があったのですか?
伊藤さん:偶然のきっかけですが、大学2年生のはじめに体調を崩して練習から離脱していた時期がありました。練習に復帰するときには、練習から少し離れて変な身体の力みが無くなっていたのか、上手く身体の力の抜き方が分かるようになっていたんです。その状態でティーバッティングをしていると、上手く打てる感覚が掴めるようになり、そこから試合でも結果が出るようになっていきました。何かが舞い降りた感じでしたね。
試合でも結果が出るようになり、どのタイミングからプロを意識するようになりましたか?
伊藤さん:大学3年生の春リーグで優勝をし、その時にチームで4番を任せてもらっていて、大学日本代表にも選んでいただいたんです。代表選手には後にプロに進まれた選手で、1つ上に斎藤佑樹選手や大石達也選手、同級生には菅野智之選手等そうそうたる面々がいました。そのときは世界大会が日本で開催されるタイミングで、オープン戦での打順は8番を任されていたんです。 最初はそれ程期待されてはいなかったと思いますが、調子が良くて結果が出ていたので試合を重ねるごとに打順が7番、6番と上がっていき、かなり競り合う試合で決勝点のホームランを打ち、 本大会の時には4番を任されるようになっていました。その当時4番を期待されていた選手の調子が悪かったことも重なってのことでした。本大会では6試合中3本のホームランを打ち10打点を上げ、そのほとんどが勝利打点で思った以上に結果が出てしまったんです。あのときは神がかっていましたね。その後からは日本代表の4番と見られるようになっていて、自然とドラフト候補にも名前が挙がる ようになっていました。そうなると、そのポジションを維持したいという気持ちもありましたし、その 自分であり続けないといけないという気持ちもあって、それまで以上に練習に取り組むようになっていました。
その当時の世間からの見られ方についてはどのように感じていましたか?
伊藤さん:自分では実力以上の結果が出ている感覚でしたが、周りから認知されているのは結果が出ている自分だったので、その自分に必死に追いつこうとしていました。どこに行っても“日本代表の4番”として見られていて、自分の認識と世間からの見られ方には少なからずギャップを感じていましたね。
プレッシャーに押しつぶされそうになることはありませんでしたか?
伊藤さん:その時はまだ3年生で上には4年生がいたので、比較的自由にやらせていただいていましたし、プロ野球選手ほど新聞に毎日載るということもないので、それほどプレッシャーは感じていなかったように思います。ただ4年生の時はキャプテンを務めながらも、当然自身でも結果を出す必要があったためプレッシャーを感じていたところもありましたね。4年生の春先はリーグで優勝し、自分も成績が良かったんですが、その後からバッティングの調子が徐々に落ちていったんです。 その中でまた日本代表にも選んでいただきましたが、そこでも打てない状況が続いていました。 それまでの結果もあり、ドラフトには1位で選ばれるかもしれないと言われる一方で、自分はなかなか結果が出せず、チームも勝てないという状況になり、そこにはかなり責任を感じていました。 4年生の夏以降はそのプレッシャーで満足に食事が喉を通らない時もありました。初めて自分は メンタルが弱いのかもしれないと思いましたね。
入団して一番衝撃だったことは何でしょうか?
伊藤さん:1軍の試合で自分が勝利を決めた瞬間ですね。野球をしていれば誰もが憧れる甲子園球場45,000人の前で、打席に立って試合を決めるという経験は誰もが出来る経験ではありません。 今でもその当時の経験を思い返すと鳥肌が立ちます。 あとは、入団1年目の時に周りは凄い選手ばかりで、金本さん、城島さん、桧山さん、鳥谷さん… つい数日前まではテレビの中で見ていた方々と一緒にトレーニングするようになり、最初は不思議な気持ちでいました。徐々に慣れてはいきましたが、特に最初は実力が劣っていたので、とんでもないところに来てしまったという印象でしたね。
ー大学時代に結果を出されたからこその苦難も経験されて、その後プロの道に進まれました。プ ロ生活を9年間経験された中で、特に印象に残っていることについて教えていただけますか?
伊藤さん:外国人選手のバッティング練習を見た時は衝撃でしたね。特にマートン選手やブラゼル選手は打球の飛び方が違っていて、自分がやっとホームランになるようなところを彼らは優に超えていました。場外やバックスクリーンを超えるような打球もざらにあって、勝負にならないなと思いました(笑)。
プロ生活の中では苦労された経験もあったかと思いますが、どのようなことが印象に残ってい ますか?
伊藤さん:沢山ありましたが、その中でも挙げるとしたら常に周囲から見られていることですね。アマチュアの時は週末にせいぜい1〜2試合ほどでしたが、プロは毎日試合があって、良くも悪くも毎日結果が出ます。プロ1年目は特にメンタル的な体力が削られました。自分は周りからの見られ方を気にする方だったので、野球に集中したい一方で色んなことが気になり、苦しい時期もありましたね。
メンタル的な体力はプロの環境において非常に重要になってくると思いますが、何か取り組ま れていたことはありましたか?
伊藤さん:色々と試していました。メンタルトレーニングをはじめとして、どうすれば周りを気にしなくなるかや、逆にその時の感情をそのまま出してみる等、本からも情報を取り入れていました。ただ、 メンタルトレーニング等を試していると先輩選手からは、「あいつは何をやっているんだ。変わった奴だな。」という目で見られることもあり、それがまた気になってしまって、本当の自分がなかなか出せていなかったように思います。 結果を出していれば、全てのプロセスは美化されますが、結果が出ていないと全く評価はされま せん。プロの世界では同じことをしていても結果が出ているかどうかで、周囲の評価が180度変 わることを身をもって知りました。
プロ生活を思い返す中で、これはやって良かったと思うことはありましたか?
伊藤さん:5年目の時に右肩を脱臼してしまいシーズンの半分ぐらい出れなくて、怪我から復帰した後も全然結果が出せずにいました。6年目でもし結果が出せなかったらクビも怪しいなと思っていた時に、当時2軍のバッティングコーチを務めておられた今岡さん(現千葉ロッテマリーンズヘッド コーチ)に教えを乞いに行ったんです。技術的な指導を中心に、教えてもらったことを実践するこ とで、6年目と7年目はそれまでのバッティングの中でも一番良い状態で打てるようになり、結果も出るようになっていました。自ら頭を下げて教えを乞いに行って本当に良かったと思います。
その一方でこれはやっておけば良かったなと思うことはありましたか?
伊藤さん:プロ1年目の時にキャンプの前に新人合同自主トレが1ヶ月弱ありましたが、その時にキャンプの準備をもっとやっておけば良かったと思います。アマチュアの時は1~2週間ほどのキャンプの中で身体を作っていましたが、プロの世界ではキャンプに入ると既にチーム内でのポジション 争いは始まっていて、特に周りの若手選手は身体が仕上がっている状態でキャンプに参加していました。言い訳にはなるかもしれませんが、もし事前の情報があればもっと準備した状態で1年目のキャンプを迎えられて、ひょっとするともう少しその先の結果も変わっていたのかもしれません。
もし現役選手で、伊藤さんが経験されたことと同じように上手くいっていない選手がおられた ら、どのようなアドバイスをされますか?
伊藤さん:まずは打てていない原因を見に行きますが、総じて言えることは自分が良いと思ったことは変化を恐れずに試してみることですね。毎日結果が出る世界ですので、何か新しいことを取り入れたり、変化していくことに対して恐怖や不安が付き纏うことはありますが、ねばり強く続けていれば大概のことは好転していきます。自分を信じて取り組んでほしいですね。
今は選手とコーチを兼任されながら、今後どのようなビジョンを想い描いておられますか?
伊藤さん:今はまだ現役でやれるという気持ちがあるので、その段階で他のことに本腰を入れるのは違うなと思っています。野球を“やり切った”と思えていない状態だと、後悔が残って次の道に進ん だとしても上手くいかないと思うんです。本当は今年1年間野球に打ち込んでプロ野球の世界に戻るという話がなければ選手を引退することも考えていましたが、怪我もあり満足に野球が出来なくて、それでもまだ自分の中には野球をやりたいという気持ちがあったので手術をすることにし ました。ただ、手術をしても自分の思うようなプレーが出来る状態に戻らなければ、その時は辞めどきなのかなと思います。 選手を引退してからは、まだ野球の経験しかありませんが、自分でビジネスに取り組んでいくことにも興味があります。有難いことに色々な人とのご縁もあり、自分一人ではなく仲間と一緒に喜びを分かち合えることがしていきたいですね。「これは人が喜んでくれることなのか」、「周りも楽しめることなのか」、「自分が成長できることなのか」等、“自分の信じる軸”を曲げずに進むことが重要だと思います。人生は選択の連続ですので、自分が思った通りの選択が出来るように軸を定 めていきたいですね。
選手を引退された後はどんな分野に取り組んでいきたいと考えておられますか?
伊藤さん:今シーズンはコーチも兼任させていただいて、有難いことに貴重な経験を沢山させていただいています。自分が関わることで、今まで出来なかったことが出来るようになった選手や教えたようにやったら結果が出た選手もいて、指導者としての面白みも感じさせていただきました。関わった選手が結果を出し始めると、それほど嬉しいことはありません。人の成長に携わる楽しさを経験させていただいたシーズンでもありました。 その点では野球に限らず、子供の成長や教育に携わることにも興味があります。野球教室をやることで、「野球が楽しい」と思ってくれることはもちろん嬉しいですが、自分が関わることで野球に限らず色んな分野で子供たちが輝けたり、夢を持って将来に進んでいけるような環境を作ったりすることも出来たら良いですね。 今後具体的に何をしていくのかは分からない部分もありますが、これからの人生の方が長いので、自分のやりたいことを信じて進んで行きたいと思います。